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6ルソン島北西部への旅

 フィリピンには8ヵ所の世界遺産があり、その内4ヶ所はルソン島北部にある。目玉はスペインの古い町並みが残っているビガンと棚田で有名なバナウエである。今回はビガンへ行ったのでその報告である。
 スペインがフィリピンに入って来たのは1521年にマゼランがセブ島へ上陸してからで、1898年アメリカに敗れてフィリピンを$2000万で売り渡すまでのおよそ350年間はスペインがフィリピンを統治した。
 スペインは海洋国家だったのでフィリピンの港湾を重点的に整備し、アメリカは道路と鉄道の整備に精を出した。ルソン島の西海岸は良好な港があり、スペインの影響を深く受けた地域である。ビガンの町は16世紀には出来ていた様だが最も繁栄したのは17世紀で、それも1720年の大火で消滅し、今ある町並みはそれ以後に作られた町である。従って260年ほど前の町並みということになる。ここまでの話はパンガシナン州在住の斉木氏の話である。
町の中心には教会・州庁舎・広場があり、そこを起点に南に350m程スペイン時代の古い町並みが続いている。道は石畳で車は通行禁止、カレッサという名の観光馬車がパカパカとのどかに走っていて郷愁を一層そそる。道の両側には民芸品を中心にしたお土産屋が並び、一定間隔に馬車をイメージしたべンチが並んでいる。家内の買い物の間ベンチに座ってそよ風に吹かれながら地元のお婆ちゃんや子供たちと他愛のない話が出来るのも車が通らないことの恩恵だろう。
 翌日はフィリピン最北端に近いラワグまで足を延ばした。途中バタックという小さな町がある。元のマルコス大統領の実家がある町として有名である。マルコス博物館なるものがあって、そこにマルコスの冷蔵遺体が納められている。これだけの人を顕彰する博物館だから当然標識も大きく出ていて立派なものだろうと思って行ったが、案に相違して分りにくいところにひっそりと建っていた。建物も古く写真を中心にした展示物も貧弱で遺体安置場所の表示が何もない。ウロウロしていると物売りをしていた小父さんが近付いてきて「遺体を見たいか?」と聞くので「見たい」と答えたらおもむろに蔵のような戸を開けてくれた。中は流石に手入れが行き届き荘厳な雰囲気には包まれているが、毛沢東やホーチミンの霊廟と比較することも出来ないくらいお粗末である。
 国の英雄である毛沢東、ホーチミンと国賊扱いのマルコスの立場の違いを見せつけらた。本来衛兵が守っているべきところを元の熱烈な支持者と思しき人間(或いは親類縁者か)が片手間に管理している。人間、引き際が大切というがマルコスも引き際さえ誤らなければ英雄として君臨出来たものをと、死んだマルコスに教訓を授けられた思いでそこを後にした。
 町の規模にしては分不相応な学校や病院が存在感を強調していた。恐らくマルコス全盛時代にわが世の春を謳歌した名残であろう。今でもそんなに荒れ果てていないのは、落ちぶれたとはいえ未だ力を持っているイメルダ夫人の影響なのだろうか?それにしては霊廟の落ちぶれようが腑におちない。やはり現政権の睨みが効いているのか?
 肝心のルソン島北西部の素晴らしさを述べることを忘れていた。道路も比較的よく整備され、道中の景色は緑のトンネルに覆われ、火炎樹の橙色とブーゲンビリアに赤色がアクセントを添えてくれる。時々姿を現す海岸線も穏やかで目を楽しませてくれる。沿道の民家はこれがフィリピンかと目を疑うくらい立派な家が多い。ラワグの近くには立派なリゾートホテルとゴルフ場もあり、是非お勧めしたいルートであった。

 

少年探偵団 神原克收 * バギオ通信2004 * 22:53 * comments(0) * trackbacks(0)

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